1983年チェッカーズのデビューから38年間売れ続けているミュージシャンである藤井フミヤさん。
音楽だけではなく個展を開催したり、料理、グッズデザインなどマルチな才能を発揮し、
何でもこなすが出来るフミヤさん。
元々は音楽で食っていけるなんて思っておらず、クリエイターとかデザイナー、料理人等になりたかったそうですが、デビューする前は何をしていたのでしょうか?
藤井フミヤデビュー前の前職は何?
藤井フミヤさんは高校卒業後、地元九州で国鉄職員として1年あまりの間サラリーマン生活をしていました。
国鉄職員というとピンと来ない人もいるかもしれないですが、今のJRでJR九州の会社員だったそう。
なぜ国鉄で働いてたか?というとお父さんが同じく国鉄の職員だったからだそうで、
安定していることから久留米の実家のまわりも国鉄職員の家がかなり多かったそうです。
国鉄職員時代は佐賀県の鳥栖駅と長崎県の早岐駅で働いてたそうで主に列車の連結作業をしていたそう。
当時から交際していた奥さんは高校卒業後東京に行ってしまったので、遠距離恋愛をしていて東京に行く寝台車ブルートレインを見送りながら早く東京に行きたいといつも思っていたようですね。
国鉄職員時代、結構休みをもらえたそうでバンド活動と両立することも出来て、ヤマハの音楽コンテストで見事グランプリを獲得し、チェッカーズはデビューが決まり、
1983年に上京することになります。
余談になりますが、その時に準グランプリは今一緒にツアーを回ったり、一緒に曲作りもしている有賀啓推さん率いるバンドだったみたいです。
藤井フミヤデビュー前の前職まとめ
- フミヤさんは地元九州で国鉄職員(現在のJR)として1年あまりの間会社員として働いていた
- フミヤさんのお父さんも国鉄職員でそれもあって就職することになった
- 国鉄職員時代は佐賀県の鳥栖駅と長崎県の早岐駅で働いてた。
- 会社員と音楽活動を両立し、ヤマハ音楽コンテストでグランプリを獲得し、
チェッカーズとして1983年にメンバー全員で上京
フミヤさんの前職についてまとめるとこのようになりました。
チェッカーズで一世風靡してソロでも売れて現在も売れ続けているので、結果として国鉄を辞めて大正解でしたね。
フミヤさんの今後の活躍にも期待したいと思います。