ローカル路線バス乗り継ぎの旅シリーズと太川・蛭子の旅バラで12年間もバスの旅を続けてきた蛭子能収さん。
蛭子さんは2019年の年末を以って、ローカル路線バス乗り継ぎの旅から引退してしまいました。
相方である太川陽介さんは定期的に現在も特番でバス旅を続けていますが、やっぱり長年のパートナーだった蛭子さんがいないと寂しさは隠せない様子。
視聴率自体も全盛期ほどではなかったものの、テレビ東京の番組の中ではトップクラスのようでした。
なぜ蛭子さんはローカル路線バス乗り継ぎの旅を卒業したのでしょうか?
蛭子さんがバス旅を卒業した理由はなぜ?復帰の可能性はある?
蛭子さんは70歳を超えてから歩くのが相当キツくなってきたそうで体力の限界ということで、バス旅を降板したそうです。
ローカルバス乗り継ぎの旅はバスとバスがつながらないところは歩かないといけないのですが、毎回10キロ以上も歩かされて、雨の日でも風の日でも歩き続けないといけないことやバス旅のロケで丸4日間の拘束もしんどかった様子。
バス旅が始まった当初もキツかったらしいのですが、バス旅で歩き続けることで12キロも体重が落ちたことで、身体が軽くなり、第4弾、第5弾と回を重ねるごとに調子が良くなってきたらしいのですが、70代に入り一気にしんどくなり降板したみたいです。
蛭子さんは72歳までバス旅を続けてきたのでそれはそれですごいと思うのですが、体力的な部分で引退を決意したということです。
視聴者さんからは蛭子さんを番組に戻して欲しいという声もめちゃくちゃあるそうなのですが、蛭子さんは体力的な問題と軽度の認知症も患っていることから復帰はないと断言していました。
蛭子さんと太川さんは不仲?
性格が正反対である蛭子さんと太川さんに不仲説はずっとあったんですが、不仲説については2人とも否定しており、仲は決して悪くなかったそうです。
何度か口論になったことはあったようなのですが、尾を引くようなこともなかったそうです。
実際、蛭子さんがいなくなった最初の旅で太川さんは相当寂しそうに蛭子さんからの手紙を読んでいたので、関係は良好だったと言えると思います。
蛭子さんがバス旅を卒業した理由まとめ
- 70歳を超えてから体力的な限界を感じて、バス旅で歩くのが困難になった
- 視聴者からはバス旅復帰の待望論もあるが、蛭子さんは復帰はないと断言
- 太川さんと蛭子さんの関係は良好で決して不仲とかではない
蛭子さんがバス旅を降板した理由についてまとめるとこのようになりました。
やっぱりローカル路線バス乗り継ぎの旅と言えば、太川さんと蛭子さんの印象がとても強いので短い距離でいいからバス旅を続けて欲しかったですが、難しいようです。
いい旅夢気分とかバス旅以外で太川さんと蛭子さんの共演をまた見たいと思います。