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嘉門タツオ落語家で鶴光の弟子?破門理由も!

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嘉門タツオさんは替え歌メドレーで80万枚の大ヒットで紅白歌合戦にも出場したことがある歌手ですが、元々は落語家で笑福亭鶴光さんの弟子だった人です。

若い時は嘉門タツオではなく、笑福亭笑光という芸名で大阪で活動していました。

そんな嘉門タツオさんですが、笑福亭鶴光さんから破門を言い渡された過去があります。

いったいなぜ落語家を破門になってしまったのでしょうか?

嘉門タツオ落語家を破門になった理由はなぜ?

嘉門タツオさんは中学生時代にラジオにハマり、MBSのヤングタウンがお気に入りでラジオのDJをしたいと漠然と考えていたようです。

ラジオに出演するにはどうすればいいか?考えたところ、ヤングタウンの中でも鶴光さんが好きだったので、鶴光さんの弟子にしてもらおうとテレビ局やラジオ局で出待ちをすることに。

最初は勇気が出ず、声を掛けられなかったそうなのですが、ある日意を決してテレビ局から出てきた鶴光さんに弟子にしてくださいと言ったところ、思いのほかええよと言われ、当時高校生だった嘉門タツオさんは高校を卒業するまでは通い弟子になりました。

学校が終わってから鶴光さんの自宅に通って身の回りの世話をしたりしていたそうです。

高校生の時は学校が終わってからの数時間だったのが、高校卒業後それこそ朝から晩まで1日中鶴光さんの弟子として身の回りの世話をするのがしんどくなり、だんだん雑になったり、仕事現場へ遅刻をしたりもしていたとか。

さらに、元々嘉門タツオさんは落語をやりたかった訳ではなく、ラジオのパーソナリティをしたかったので、落語にも身が入らず考え方の相違もあって、鶴光さんの弟子をクビになったようです。

しかしながら、嘉門タツオさんは鶴光さんの弟子になったおかげで念願だったMBSヤングタウンを始め、いくつかのラジオやテレビのレギュラーの仕事も出来るようになったので、鶴光さんにはめちゃくちゃ感謝しているみたいです。

嘉門タツオ落語家まとめ

  1. 嘉門タツオさんは元々歌手ではなく、笑福亭鶴光さんの2番目の弟子で落語家笑福亭笑光として若い頃は活動しており、大阪でMBSヤングタウン等のラジオやテレビにも出演していた
  2. 元々落語家をやりたかった訳ではなく、ラジオのパーソナリティをやりたくて鶴光さんの弟子になったこともあり、落語に身が入らず、弟子として鶴光さんの世話をするのも雑になったことから破門になった

以上、嘉門タツオさんの落語家時代や破門理由についてまとめてみました。

同じ笑福亭の鶴瓶さんの弟子も落語をやりたい訳ではなく、テレビやラジオに出たいと言って弟子になった人が多いので、嘉門タツオさんも鶴瓶さんの弟子になっていたら人生が変わっていたかもしれません。

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